歴史からみる勾玉の意味

【勾玉の形】
勾玉の形はなぜ曲がっていて “コの字型” をしているのでしょうか?
先日小学生をお連れのお客様がサロンにお越しになりました。
小学校の高学年になると勾玉作りの授業があるそうです。サロンでも勾玉作りキットを販売していますが、
ロウ石という硬度が低い石を削って自分好みの形の勾玉に仕上げることができます。
実際作ってみると、なかなか大変な道のりです。紙やすりで磨いて仕上げていきますが、ふと、
こんな疑問が浮かんできました。今みたいに道具が無い時代から、「この形にこだわっていたのはなぜだろう。」
ネックレスのように首から石をぶら下げるだけなら穴が開いていればいいので、曲がった形にする必要がないように思います。

なにか勾玉の形には重要な意味があるのでは?
勾玉の形は、なぜ、あの様な形なのでしょうか?

それには大きく分けて、3つの説があります。
①石器時代に、動物や魚の骨や牙などを魔除けとして身に付けていた
 ものを石で作り始めた。
②月を信仰の対象としていた時代、石を月の形に削り、身につけるようになった。
③始まりの形である「胎児」を形とし若さと力を手に入れようとした。

その他には、釣ばり説、縄文時代・中国から入って来ていた耳飾りを切って作ったという説もあります。


【三種の神器】(天皇が皇位の印として受け継いだ3つの宝物)
八咫鏡、草薙剣とともに、八尺瓊勾玉は三種の神器のひとつとして知られています。
鏡は伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に、剣は熱田神宮の御神体として、また、勾玉だけが
天照大神から渡された元来のものだと言われており、皇居に置かれています。
即位礼の時は、この八尺瓊勾玉が入った箱が天皇と共に移動している場面を、ニュースで目にした方も
多いのではないでしょうか。


【歴史から見た勾玉】
・ 古事記では、天照大神の天岩窟隠れの際に、八百万の神々が岩戸から連れ出す解決策を練るため
 高天原会議をし、その席で『造化三神』の一人『たかみむすひ』の神の子で高天原一の知恵者、
 思金(おもひかね)の神が勾玉を作るという案を出します。
 そして、玉造職人たまおや(玉祖)に命じて『八尺の勾玉のみすまるの珠飾り』を作らせました。
 勾玉は神璽(しんじ)とも記されていますが、璽は印章を意味します。
・ 物部氏に伝わる『十種の神宝(とくさのかんだから』の中に、
 生玉(いくたま)・死返玉(まかるかえしのたま)・足玉(たるたま)・道返玉(ちかえしのたま)と、
 あきらかに呪術的な意味合いで使われていたと思われる玉の数々が含まれています。


【飾りではない?勾玉の使われ方】
・奈良県、唐子・鍵遺跡(紀元前後)では、仙薬(不老長寿の薬)の中からヒスイの勾玉が2つ出てきています。
・大阪府、池上曽根遺跡(紀元前52年)では、26本の柱を使った神殿の一番前の柱の下から、
 ヒスイの勾玉が出土しています。

このように勾玉は飾りではなく目に見えない場所に埋められたりしていたようです。
飾りとしてだけではなく、勾玉はお守りのような意味合いを持っていそうです。


ところで、以下の勾玉ですが、写真のような向きで身に付けるとまっすぐな直線に見えませんか?
勾玉自体は曲がった形をしていますが、身に付ける方向を意識することで自分と相手からはまっすぐ直線に見えます。


  



この様に方向によってこんなにも印象が変わるのがなんだかとても不思議です。
起こっている出来事も、捉え方によって想いや考えが様々でありますよね。

日本の歴史を語るうえで、なくてはならない勾玉。
何千年も引き継いできた想いを、これからも繋いでいけたらと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!